出てきた

家を建てて15年。畳がずいぶん痛んできたため、昨日と今日、3つの部屋の畳替えをした。

畳屋のすすめで今度はい草よりも強いという和紙の畳表にした。肌触りや見た目は全然普通のものと変わらない。

ただ違いと言えば青々としているのに、独特のい草のにおいがしないくらいだ。

ちょっとわりだかだが、ほんとうにつよければ、これで申し分ない。

どれだけ違うのかこれからが楽しみだ。

ところでその畳替えの時、室内にある、あらゆる家具を動かした。そのせいで今日はPCが使えず、仕事は休みを取った。

その家具を動かした後から、な・なんと、3年前に無くなったパソコンの操作に使っていたスティックが出てきた。実は、今朝から、もしかしたら出てくるのでは?とちょっと予感はしていたが、本当に出てくると、めちゃくちゃうれしかった。パソコンと出会った園でkaz先生や川口先生にいろいろ試行錯誤して作ってもらった大切なスティックだった。これがあったからパソコンが使えるようになれ、就職もできた。そしてHeartyLadderやTextClipperなど現在、世に出ている私のソフトはみんなこのスティックで作ったものだ。そのスティックと3年ぶりの対面だ。そして今、3年ぶりにそれを使って入力している。新しいスティックにもうなれているため、やっぱり使いにくいが、なぜかミスタイプはこっちの方が少ないような気がする。これからどっちを使おうか・・・?

そうそう、3年前はてっきり当時1才の優輝がこのスティックをゴミ箱に捨てたものと思いこんでしまっていた。現に腕時計が捨ててあったから、そう思ったのだが・・・・優輝、3年前はあらぬ疑いをかけてごめん!

同級生が・・・

 先週、同級生が亡くなったという知らせを受けた。本当は先月の同窓会に来るはずだったのだが、会えずに、それがとても悔やまれる。連絡を受けたのは、なくなって3日後だったから葬式にも行けず、昨日の日曜日にお別れに行ってきた。

まつられている部屋に等されると、そこには満面の笑みを浮かべた彼の遺影が有り、それを見た瞬間、悲しさと寂しさがおそってきた。

振り返れば、彼とは中学高校と、いつも一緒に動いていた。

中学から学校が代わり、いちばん不安だったときには寄宿舎で2年間も同じ部屋だった。食事の手伝いもしてくれたし、洗濯の手伝いもしてくれた。

買い物にもいつも車椅子を押してくれた。

重い障害がある私があの学校で楽しく過ごせたのは彼のおかげだと言ってもいいくらいだ。

自由時間には部屋で野球をやったり、学校では休み時間にはいつもゴロバレーを一緒にやった。時間差攻撃やバウンドトスを初めてやったのも彼とのコンビでだった。

彼の満面の笑みを浮かべた遺影を見るとそういうことがいろいろと思い出された。

そして本当に長い間有り難うと、心の中で何度も言って帰ってきた。

きゃ?

 昨日は家族で伊万里になし狩りに行った。いつもなら同時に伊万里牛のバーベキューも食べるのに、今年はその案内は入っていなくて、どうしたんだろうと思いながら行って見ると、以前とは全然違うところに受付や販売所の建物は移っており、バーベキュー場もなくなっていた。販売所も小さくなったようだ。

それでも梨狩りも人気は高いようで、次々とマイクロバスでピストン輸送していた。

私たちも最初は梨狩りをするつもりで、ビデオカメラまで持っていったのだが、あまりの暑さに行く気が失せて結局販売所で買っただけだった。その暑さのせいもあり、試食の冷えた梨はめちゃくちゃおいしかった。

ところで、その帰り、松浦の道の駅によってみた。するとそこでよさこい踊りの催しが行われていた。それを1時間ぐらい見ていただろうか?出場チームも多くて、見応えがあった。

ところでそれらの中のチームの衣装の背中に「きゃ」と書いてあるのが目にとまった。

「きゃ?」とはここら辺の方言で「・・か?」と言う意味だ。「いいか?」を長崎では「よかか?」と言うが、さらにこの辺では「よかきゃ?」と言う風にいう。

私の弟もよく言っていた。

ところが、最近、あまり、この言葉を耳にしない。すっかりこっちの言葉を覚えて、おじいちゃんやおばあちゃんを驚かしている優輝も全然使わないのだ。私たちも使わないからかも知れないが・・・他のお子さん達はどうなのだろうか?

せっかく、北松に住んでいるのだから優輝には、「きゃ?」とか「せん」というのを覚えてほしい気もする。

寝ない

相変わらず優輝は就寝が遅い。早く寝てくれるようにあの手この手の画策をしているのだが効果はない。

先々月も近所の「ご近所ママさん」に効果があったという絵本を借りたのだが、内容に気がついていたのか、持ってくると聞いただじぇでべそをかき、その後も読んでもらうのを嫌がる始末。まだ読んであげられていない。

早く起きたら、早く寝ると期待して先月から7時半におじいちゃんと登園。そのために6時半起床になった居るのだが、最初の内は若干早く寝るようになったかと思ったのだが最近はそうでもなくなってきた。たぶん、早起きして眠たい分、保育園でぐっすりと熟睡して来るのだろう。

寝るための努力をすれば、良いと思うのだが・・・部屋を暗くして目をつむって静かにするなど・・そうすると、私なら2,3分で眠気が来てすぐに寝入れるというのに、優輝はそれをしない。それがいちばんの原因かな?

まあ、日中は元気だし、あまり心配しなくても良いかな?とも思うが・・・

ナイトスクープの「がおさん」に来てほしいとよく思う。

名のないお宿

 以前、このブログに書いた私のパソコンの師匠、kaz先生が書かれた本「名のないお宿」を先生のご許可を頂いて、PDFで公開することができました。

私のホームページのトップにおいていますので、是非読んでいただけたらと思います。

感動するところ、笑ってしまうところもあり、秋の夜長にお勧めです。

まなつのみかんのTOP

Kaz先生、ありがとうございました。これで、また先生のファンが増えますね!

精密検査

 嫁さんが6月にうけた乳ガン検診で引っかかった。昨年も引っかかって、診てもらったら異常なしと言われ、今年もそうかな?と思っていたら、病院に行ったら生検してきたという。昨年は何もしなかったのに、今年はどうして?とこの1週間、本当に心配した。

おまけに、その紹介状の入った封筒が届いた日が、ドリーが立てなくなった日で、さらには電波時計も止まった日だったため、余計に不吉に思えて・・・

頭では良い方に考えようとするが、どうしても悪い方に考えてしまう。

そして今日、電話でその生検の結果を聞いた。どのときはもう心臓ばくばくで口から飛び出しそうだった。こんな時、私って小心者だなとつくづく思ってしまう。一方の嫁さんは内心はわからないが比較的落ち着いていた。

で、結果は、腫瘍はないと言うことだった。それを聞いて本当に安心した。そして健康であることの大切さ、幸せさを本当に痛感した。

阿修羅

 昨日、10年越しに念願の阿修羅に逢ってきた。

阿修羅は入って間もないところに立っていた。

ライトのせいもあると思うが、阿修羅の空間だけちょっと異質にみえた。

音声ガイドを聞きながら阿修羅の周りをゆっくり回った。

ガラスも何も隔たりもないため、細部にわたってよく見ることができた。

やはりいちばん良かったのは真正面だ。顔もどこか優しさを含んでいるように思えた。眉毛の曲がりもやっぱり好きだ。

阿修羅の手は6本あるのだがその内の2本は正面で合掌している。

何の隔たりもない空間で阿修羅と真っ正面で対面すると、その合掌した手のせいもあるが、こちらも合掌しなければならないような衝動に駆られた。

阿修羅の他の2つの顔もまた。印象的だった。写真やテレビではそれほどでもなかったのに、生で見るとすごく惹かれた。嫁さんは特に唇をかんでいるのが私に似ていると言って、よく見ていたようだ。

阿修羅以外にも多くの仏像などがあった。私は中でも四天王が印象に残った。

踏みつけられて、口を大きく開けて苦しんでいる邪鬼もすごかったが、四天王の目にも惹かれる。そのまなざしはまさに拝観している私たちの目を見ていた。優輝に、「優輝をにらんでいる」と言って、見せると優輝もしばらくその目に釘付けになっていた。やっぱり国宝級の力ってすごいもにだ。

昨日は障害者を対象にした特別の日だった。普段は1万人以上ものお客さんがあるそうで、じっくりは見られないだろう。昨日は、その点、すごく少ない人数だったためゆっくり心ゆくまで見て回ることができた。

私の場合、ちょっと手違いがあり2時間以上待つことになったがそのおかげで久しぶりに会えた先輩ともゆっくり話ができて、良い1日になった。

留守番

先日の病院の同窓会の日、優輝は留守番だった。実はこの日は4才にして初めて、ママもパパも居ない夜をすごした。おばあちゃんもおじいちゃんもいるので大丈夫だと思っていたが、どうだろうかと少し気になっていた。行く前も、明日帰ってくるからと言うと、うつもの買い物の時は、行ってらっしゃい、おみやげ、こうてきてやと言って見送ってくれるのに、そのときはだめと言ってママの手を握っていた。やっぱり何か感じるところがあったのだろう。

同窓会が済んで10時頃、気になったので電話をしてみたらいつもの通りだった。

翌日、帰って来ている途中で電話があった。でると優輝で「何時に帰る?」と・・。3時に帰ると言うと、そのあとは意味不明で、はしゃぐはしゃぐ。異常だった。

それで家に帰ってから、どうだったかと優輝に聞いてみるとばつが悪そうにして返事しなかったが、何度か聞くと、小さい声で「さみしかった」と・・・。そういわれてちょっとうれしい反面、ちょっとかわいそうだったなぁと言う切ない気分になった。

その翌日から、町のお祭りに2度行ったにだが、そのたびに、優輝は「みんなで行こう」としきりに言う。よっぽど、この前の留守番が懲りたようだ。

まだ優輝と3人だけでの買い物は危ないから嫁さんと2人で買い物に行くのだが、今度は気持ちよく見送ってくれるだろうか・・・。

同窓会

13日、私が小学生の頃に暮らしていた病院の同窓会に行ってきた。

35年ぶりに会う人もいて、本当になつかしかった

あの頃は親と別れてよく泣いていたが、そんなとき車椅子に乗って膝に載せて園内を走って回ってくれた当時、中学生のお姉さんも来ておられて、本当になつかしかった。しかも名前をフルネームで覚えていてくれて感激。

あの頃、竹刀を持って指導しておられた怖かった先生が昨日は涙もろくなっていてびっくりした。

ところで、同窓会でみんなと歓談しているとき、何とも言えない「この人たちとなら大丈夫!」というなつかしい感情がわき上がっていたことに気がついた。

その感情は、当時、面会や帰省のあと、家族と別れたあと、寂しくて仕方がないときに、兄ちゃんや姉ちゃん達が慰めてくれようと、いっぱい話しかけてくれた。そのうち、私はその話に入っていき、夢中になり、楽しくなった。そのときに感じた感情だ。

家族は帰っていったが、こんなに一緒に笑い会える仲間がいる。そう思うとなんかうれしくなり、「この人達がいれば、家族と離れていても、ここで大丈夫!」と思ったものだ。そしてそう思えると涙も引いていった。改めて、そんな仲間がいたから、色んな事を乗り越えてこれたんだなぁと思う。

ところで同窓生にはすごい人たちがたくさんいた。

トヨタでプログラマをやっている人やパラリンピックで活躍している後輩、私より重度なのに東京で一人で生活されていて、社会のために活動している人、介護の仕事についておられる人など・・。

私ももっと頑張らなくてはと思った。

その翌日はみんなで新しくなった病院の見学に行った。

もう昔の名残はほとんどなかった。廊下の下を流れていた用水路ぐらいかな?

帰りに表に出て本明川の方に行ってみた。2回目の入園の時、やっと松葉杖で歩けるようになった頃、リハビリのために友達と歩いた道だ。あの頃はこわごわ歩いた道だが、今は楽勝だな?と思いながら・・。

その途中にあった野外訓練場という小さな公園はほぼ当時のままだった。

生えている木やブランコ、登り棒など・・・

その公園でも思い出がある。

小学6年の時、ギプスを巻いたために車椅子に乗ったことがある。そのとき初めて弟に車椅子を押してもらった。それまでは歩行車ばかりで車椅子には乗っていなかったから・・・、

その日、弟と公園に行き、そこをサーキットに見立てて、車椅子を押してもらって思いっきり走ったことがすごい思い出だ。いつもとは全然違うスピード感でめちゃくちゃ楽しかった。

そして、その反動。面会が終わって弟たちが帰るときは、いつもならもう慣れて、別れることは平気なはずなのに、その日は6年生なのに、なんでこんなに悲しいのかと思いながら必死で泣きたいのをこらえていた、

昨日はそういうことまで思い出してしまった。やっぱり、悲しい思いでも多いけど、もう一度あの頃に戻ってみたい気もする。

ドリー逝く

昨日の午後、私とおばあちゃんが用事で出かけている間に死んでいた。

前の夕方までは歩いてくれていたが、夜にはもう頭も上げられなくなっていて、もしかしたら、翌日、留守の間に・・と思っていた。

それでも出かける前は水も飲んでくれたから、少し安心した。

口には二人とも出さなかったが、生きてろよ、待ってろよと、心の中で念じながら帰ってきた。

そして、玄関に向かって歩いてるときに、優輝の口から、明るい口調で、「ドリー死んだでえ」という一報を聞いた。ああ、やっぱりだめだったかと、思わず歩みが止まったが、優輝の明るさでショックも和らいだと思う。

最初に気づいたのはママだったそうだ。台所から見たときは、荒いけど、呼吸をしていたが、洗濯を取り込みに外に出たときはもう息をしていなかったそうだ。

最期の瞬間には誰も立ち会えなかったのだが、そうやってママが気がけて見ていてくれていたことがせめてもの救いだ、

いざ、こうやってドリーがいなくなると、想像以上に寂しい。14年弱、一緒に暮らしてきたから夕べは、その日々が思い出されたなかなか眠れなかった。

16才という天寿を全うした1匹の犬でさえ、こんなに悲しく寂しいのだからこれが家族だったらどうだろうか。想像は計り知れず、空恐ろしくなる。

奇しくも昨日は長崎原爆の日。あの日の長崎では、そんな思いをした人たちが何万もおられた。それも原爆という人間によって・・・。

いかなる理由があっても命を奪うという行為は許されるものではないと、つくづく思った。

ドリーはこれからおじいちゃんとおばあちゃんが焼き場に連れて行く。

優輝は保育園に行くときに、私が、「ばいばい、ありがとう」と言えと促すと神妙な顔で小さな声でそういった。なでてやるように言ったのだが、それは怖いのかしなかった。そのあと、短く合掌をして、振り返り、いつものように笑顔でおばあちゃんと保育園に。

私もあれくらいさっぱりお別れできればいいのにとすごくうらやましく思う。

もうすぐ最期のお別れだ。感謝の気持ちで見送ってやりたいと思う

合唱

   おっと みんなで歌ってどうする!

   あらためて

   合掌・・・